2009年 07月 02日
遺影を貰う ロッテルダム日記 最終回 その2 |
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by foryoureyes
| 2009-07-02 06:20
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2009年 06月 29日
日曜日の朝は、起きてすぐにプールへでかける。道路はカラッポで静まりかえっているし、プールには教会へ行かない不信心者しかいなくて、大変気持ちがいい。なによりも身体にエネルギーが漲っているので、水に抵抗感が全然ない。いつまででも泳いでいられそうな気がする。あがったあとは、駅前のパン屋によって、焼きたてのパンを買って帰り、遅めの(もっともこれはいつもだけれど)朝食。一週間で最も幸福な時間。
朝食後、新しい詩集の編集をおこなう。これを書きあげたのは丁度去年の今頃だった。ところがそのあと、『泥の暦』や『キッド』の出版にかかわっている間に、同じ主題でもう一冊分書いてしまった。春先にその二冊を一冊分に凝縮して編集したのだが、日本滞在中に纏めた原稿を紛失してしまったのだ。そこでもう一度編集のやり直しである。自分はいつも一冊の書物に作品を詰め込みすぎる癖があるのだが、今回は遠慮せずに分厚い詩集にしてやろうと思っている。洗練さを追求するタマじゃないもの。 夕方、妻を中央駅に迎えがてら休日の街を散策。ミュンヘン市博物館でヌード写真の展覧会をやっている。40年前にはこの同じ建物で、「裸祭り」をやったとか。着飾ったご婦人と素っ裸の男がきわめて日常的に立ち話をしている写真が残っている。60年代か。僕はその熱気を味わうには幼すぎた。展覧会のヌード写真は150年前から現代にいたるものだが、総じて写真としては面白くない。理由を分析するに、ヌード写真は被写体が自意識過剰だからではないか。ぼくはカルティエ・ブレッソン的なスナップ写真、今の言葉でいえば盗撮の方が好きなのだ。 6月18日 ロッテルダム日記 その2 今朝も朝食の席で白石さんと一緒になる。この日は午後七時からふたりで公開トーク、そのあと白石さんの朗読会がある。その朗読の準備をお手伝いする。白石さんはご自分がお読みになる作品を半紙の巻き物に毛筆でしたためられるのだが、作品が決まったら詩祭事務局につないで、翻訳字幕の準備をしなければならないのだ。ちなみに白石さんの書道はみごとなもので、みんなの垂涎の的なのだが、ご本人は「これじゃないと、ステージでは字が見えないのよ」とあっさりしたものだ。 午後、N氏と美術館を見学し、カフェテリアでサラダの昼食。ここはブリュッセルの美術館同様、ルネッサンスと現代美術が同居しているので、時代を貫くフランドル的な美的感覚を直感的に体得することができる。 夕方白石さんと合流。詩祭のスタッフたちは日本から来たこの大詩人を心から敬愛、というよりも慕っていて、肉親に接するような細やかな心遣いを示している。横から見ているだけ豊かな気持ちになってくるくらい。こういうスタッフが詩祭を支えているのだ。逆に云うと、どんなにお金があっても、こういう人間的な力のあるスタッフがいなければ詩祭の成功は覚束ない。 詩祭スタッフのKatja(右)はロジスティック・マネージャー。ぼくの飛行機の切符も、白石さんのホテルとの往復の付き添いもすべて手配してくれる。 トークはぼくが聞き手となって白石さんの少女時代、とくに生地カナダでの思い出や戦争直前に初めて日本の土を踏んだときのこと(彼女はそのとき8才だった)を伺う。カナダでは従兄弟の少年ふたりを相手に相撲をとって常勝だったこと、日本ではお姫様のように扱われるか、壮絶なイジメに会うかどちらかだったこと。いつもアウトサイダーであり、漂泊のひとであった詩人白石かずこの原点がそこにあった。 Kazuko Shiraishi reading "Tulips Ear" トークが終るとスタッフが待ち構えていてホールの調整室に連れてゆかれる。客席の一番後ろにあるガラス張りの小部屋だ。白石さんの朗読の翻訳字幕の頭出しをやってくれというのだ。もちろん大歓迎。モニター画面越しに観る壇上の白石さんは堂々たるもの。40周年を祝う今年の詩祭の特別ゲストにふさわしい風格である。朗読はところどころ即興が入ったり、音楽のように繰り返して読んだり。たしかにこれでは日本語の分かる者がいないと、翻訳字幕のタイミングをとるのは難しかっただろうな、と思う。 PIW Project Manager の Madea と PIW-Australia Editor の Michael Brennan. マイケルは現在東京在住、中央大学で教鞭をとっている。詩を書く傍ら、シドニーで詩の出版社も立ち上げていて、先月はぼくの英訳詩集「Family Room」を出版してくれた奇特な若者である。 #
by foryoureyes
| 2009-06-29 06:28
2009年 06月 28日
午前中、詩二篇。うち一篇は『現代ニッポン詩日記』の原稿で、最近話題の「モスキート音」をモティーフとしたものだ。若い友人Sさんのブログで実際にいくつかの周波数のモスキート音を試聴するうちに、まずエッセーの想が浮かんだ。音という暴力を使って若者を撃退するという行為に対して、極めて常識的に憤慨したものだが、詩はそこからさらに飛躍して失われた若き日々を哀惜するものに。現実から散文、そして詩への三段跳びである。ちなみにぼくは「30歳から40歳まで可聴」とされる周波数(13KHz)が辛うじて聞き取れたが、あとは全く静かなものであった。寂しい。
午後、一週間ぶりに自宅軟禁を解いて外出。市内の日本食料品店でお米と納豆(冷凍)を買う。お米はスペイン産のこしひかりだか何だかで、4.5キロ入り。我が家は月に一・二度しかお米を炊かないので、これだけあれば優に半年はもつ。ドイツ版ヨドバシカメラで現像済みのフィルムを受け取り、ルーマニアやオランダで撮ったフィルムを預ける。靴屋でサンダル(エコ製品だそうだ)、スポーツ店で短パンとトレッキングシューズ。夏への準備万端である。 夕食前に現像済みのスライドフィルムをライトボックスにかざしてルーペでながめる。わずか一月前に撮影したものなのに、半分くらいの映像にはまったく記憶がない。無意識のレベルで撮っていたからか。昔の詩を読み返しているときと同じ(奇妙で、ちょっとわくわくする)感覚である。 夜、息子から借りたJack Black の"Be Kind, Rewind"を娘と一緒に観る。ふたりでおおいに笑って、最後は涙。最近は自分で映画を選ぶかわりに、息子のDVDコレクションに頼っている。当の息子は昨日旅行から帰ってきたばかりだというのに、さっそく「仕事」と称して、学校の友達とポーカー。 6月17日 ロッテルダム日記 その1 ホテルの朝食の部屋で、白石かずこさんと会う。二年ぶり。お元気そうで安心。明日の公開トークの打ち合せをしていると、途中で北島(ベイダオ。中国の亡命詩人)がやってくる。日本の詩人を呼びたくて田原(たはらさんじゃなくて、ティエン・ユアン。仙台在住の中国人詩人である)にメールを打っているのだが、返事がないとか。田さん、忙しいものなあ。 この日は終日Poetry International Web (インターネット上の国際的現代詩フォーラム)の各国編集者が一堂に会して、将来の方向性を論議。「びーぐる三号」の翻訳の手配を助けてくれたベルギーのトムやイスラエルのリサ、リトアニアのコトリーナも来ている。さっそく「びーぐる」の掲載号を渡して、お礼。ほかにはインド、南アフリカ、ドイツ、オランダ、米国、インドネジア、モロッコ、イギリスなど。 夕食後、詩祭の会場でN氏と会う。と、そこにはなんと「詩の移動図書館司書」のサラがいるではないか。つい先日までライプチッヒにいたはずなのに、ちゃっかり司書のコスプレをして会場に机を構えて営業中である。こういうときは話しかけても、人格が司書になりきっているから、普通の会話は成り立たない。たまたま持っていた「びーぐる」の最後の一冊を贈る。ぼくは彼女にエッセーを書いてもらい、自ら翻訳したのだ。 サラはまだ二十代半ば。数年前からスーツケースに詩書をつめこんで、世界中を訪れ、その先々で詩書を貸し出し、また寄贈を受けると云う「詩の移動図書館」をたったひとりで続けている。図書館は駅のホームにも、公園にも、個人の家にでも神出鬼没。二週間のこともあれば二時間のこともある。彼女自身が詩を届け、広げるメディアになるというパフォーマンスなのだ。簡単そうに聞こえるが、定職をもたずに何年も続けるのは並大抵ではない。一日の生活費が一ユーロ、つねに知り合いの家に転がり込み、クスクスしか食べず、ときには残飯を漁ることもあるとか。リンクをはったホームページからはコンタクトおよびペイパルによる寄付もできるので、趣旨に賛同された方はぜひご支援を。 N氏もさっそく会員になっている。現在会員数は950名だとか。この詩祭の間に1000人に達するだろうか。N氏いわく、「このひと、本物だよ。持ってる本がすごい」。 サラ(Sara)の隣にいるのは、PIWのチーフ・エディターであるサラ。紛らわしいが、こちらはSarahでhがついている。そう云えば、ちょうど一年前のこの詩祭で、ぼくはSarahにSaraの話をし、その後メールで両者を繋いだのだった。SarahはすぐにSaraの行っていることの価値を見抜いて、交流が始まった。この一時をもってぼくは編集長としてのSarahを全面的に信頼するのである。 #
by foryoureyes
| 2009-06-28 08:07
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