2010年 03月 28日
彼の目で視、彼の耳で聴く |
熊本連詩に関しては、まだまだ書いておきたいことがあるのだが、閑話休題。
二年半前に亡くなった妻の父(のことを岳父というのだそうな、どうして山なのだろう)と連れ立ってあちらこちら回っている。
彼の遺品のカメラ(オリンパスFペンである)を修理屋に持ちこんで復活させ、横浜から福岡、そして熊本、阿蘇と道行きをしたのである。これは自分の写真にあらず、彼の瞬きであると思ってシャッターを切る。いまカメラはミュンヘンで、娘の手のなかにある。一度にせいぜい1/30秒ほどであるが、娑婆の光景があの世に届いたことであろうか。ちなみに修理から戻ってきたカメラの最初の一枚は、桜の花びらを散りばめた彼の墓石であり、二枚目はその前にたたずむ彼の妻の笑顔であった。
最近では横浜の妻の実家に泊まるたびに彼の書斎でひとときを過ごす。ここでは原稿ははかどらない。四方は膨大な書物の壁であり、いったん読み始めたら時間がたつのを忘れるからである。CDのコレクションもなかなかのものであり、毎回どれを聴こうかと考えるのが楽しみだ。今回はシベリウスを失敬してきた。熊本から帰って来てすぐにフィンランドへ行く用があったのだ。フィンランドでは車に乗るたびにそのCDを流していた。まだ雪深い白樺の林道を走りながらそれを聴いていたのは、あれはだれの耳だったのか?
by foryoureyes
| 2010-03-28 02:55