2011年 05月 11日
ガリシアの声 2 |
先日のブログで紹介したヨランダ・カスターニョの人と作品が、雑誌「びーぐる」の最近号で紹介されている。執筆者の許可を得て、ここに再掲いたします。
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ヨランダ・カスターニョは1977年、スペインはガリシア州サンティアゴ・デ・コンポステーラの生まれ、現在は同州の代表的な都市ア・コルーニャに住んでいる。ということは当然スペイン語の詩人かと思いきや、本人曰く、「私はあくまでもガリシア語詩人、スペイン語詩人ではないの」
欧州の言語状況は複雑だ。スペインには、いわゆるスペイン語(カスティーリャ語)のほかに、カタルーニャ語、バレンシア語、バスク語等の地方公用語があり、ガリシア語もそのひとつ。私などには区別がつかないが、ガリシア語は隣接するポルトガル語に近いのだそうだ。
地方公用語の間でも、その普及度合いには違いがある。言語の成り立ちが完全に異質で、独立運動まで起こしているバスク地方とは対照的に、ガリシア地方の人々にはそれほど言語的独立意識が強くなく、むしろガリシア語を使うことに劣等感を感じるむきもあるという。家庭ではガリシア語を喋っていても、公的な場ではカスティーリァ語を喋ろうとする人も多いそうだ。
そんなガリシア語にとって、ヨランダは力強い助っ人だ。ガリシア語の詩のアンソロジーを編み、州内の学校でガリシア語による詩のワークショップを行い、毎週一回地元ア・コローニャのテレビ局でクイズショーの司会まで勤めている。次に紹介する詩は、個人的な恋愛詩であると同時に、グローバルな時代に生きるヨランダの、地域固有性への賛歌としても読めるだろう。
トルストイの庭の林檎
わたし、
かつてネレトヴァ河の岸辺を車で辿った
湯気たてるコペンハーゲンの路上を自転車で走り回った
わたし両腕を伸ばしてサラエボの町の砲弾の穴を測った
運転席に座ってスロベニアの国境を越え
複葉機に乗ってベタンゾスのリアス式海岸の上空を舞った
わたしアイルランドの岸壁やコシボルカ湖のオメテペ島からフェリーボートで船出した
わたしブダペストのあのお店を絶対に忘れはしない
テサリア地方の綿花畑も
十七歳のときニースのホテルで過ごした一夜も
わたしの記憶はラトビアのユルマラ・ビーチで足を濡らし
NY六番街でほっと寛ぐ
わたし、
リマのタクシーに乗っていて死にかけたことがあった
リトアニアでパクルオイス平野の眩しい黄色を横切ったことも
アトランタでマーガレット・ミッチェルが渡ったその同じ通りを渡ったことだって
エラフォニシのピンク色の砂浜に残されたわたしの足跡
ブルックリンの角を曲がり、カレル橋を渡り、ラヴァール街を歩いたわたしの足跡
わたし砂漠を横断してモロッコのエッサウラまで行った
ニカラグアのモンバッチャ高原でケーブルカーに乗った
アムステルダムの路上でひとり眠った夜が忘れられない
オストログの修道院も、メテオラの岩も忘れられない。
わたしゲントの広場の真ん中に立って大声である人の名前を叫んだ
かつて希望に身を包んでボスフォラスの海峡を渡った
アウシュヴィッツで過ごしたあの午後を境にもう同じではいられなくなった
わたし、
東に向かってモンテネグロのポドゴリツァ近くまで車を走らせた
スノーモービルに乗ってヴァトナヨークトルの氷河を制覇した
わたしリュー・ド・サンドニで味わったほどの孤独を知らないし
コリントスで食べた葡萄のような味をもう二度と味わうことはないだろう
わたし、ある日トルストイの庭になっている
リンゴの実を摘んだ
けれど今わたしは家に帰りたい
ア・コルーニャの街の
わたしの一番好きな
隠れ家
あなたのもとへ。
次に紹介する「変身の歴史」を訳すのにはずいぶん苦労した。ヨランダを囲んで数名の詩人翻訳者が、英訳テクストを読み進んでいったのだが、彼女の英語がそれほど達者ではない上に、その英訳がかなりいい加減な代物だったのだ。結局カスティーリャ語を母語とするマルタの詩人が間に入って、ガリシア語から一行ずつ意味やニュアンスを辿ることになった。
期せずして両言語の微妙な違いを目の当たりにする機会を得たわけだが、この作品の難解さはヨランダ自身にも曰く言いがたい内的な複合意識のゆえなのだった。因習的な抑圧のなお強固なカトリック国において、自らのセクシュアリティと創造性の解放を求めるひとりの若い女性の、血を流すような葛藤の歴史。それは翻訳セッションというよりも、むしろ深層心理を読み解く精神分析の趣きを帯びたのだった。
変身の歴史
衝撃とともにそれは始まった
有害な禁欲 子供のころ我が家は貧乏で 私はまだそれを持ってはいなかった
弱虫の私 自分自身になる前からすでに奪われて 苦しみは
虚弱さの寓話性を欠いていた ひとつの症候 ひとつの幻覚
(まだそこにはないそれをすでに悔いているということの二重の辛さ)
首飾りを引きちぎった断崖の影。
最初それは逃げ腰の鰓だった
鰓は私に息を吹きかけて幸せにしてはくれなかった。
私は学校中で一番平凡な顔をしていた
あってもなくてもどうでもいいような顔立ちだ そこからはなにも始まらない
必要なら手にいれなさい 駄目ならそれまで 諦めなさい馴れなさい呑みこみなさい
鴉の群れが雲を遮っている 私的な喪失
(ミッション系の学校の女の子は私もそうだったけどみんな拒食症かレズになる定め
血で染まった文字が浮かび上がってくる 肘に 頭に
良心にそしておまんこの上にまで)。
私は目を閉じて力の限り願ったものだ
今度こそ本当の自分自身にならせて欲しいと。
けれど綺麗はひとを駄目にする。綺麗はひとを駄目にする。
首飾りをすり減らした断崖の影。
曙がやってきて私の喉は予兆を掲げる。
お馬鹿さん!あんたって空欄を埋めることしか考えていないのね
答えじゃなくって。
冬の最中にゆっくりと眩暈を誘いながら開いた花々
逆流してついにはピンクの滝と化した河
わたしの髪の毛のなかでは蝶々とカタツムリが生まれ
わたしの乳房は微笑んで飛行機の燃料となりました
綺麗はひとを駄目にする
綺麗はひとを駄目にするんだってば
わたしの子宮のすべすべが春を護衛し
わたしのちっちゃな手の上をナマコは飛んでいったんだっけ
そして最高のおべっかがわたしの心室を抓って
わたしにはもう分からないこんなにたくさんの光を
こんなにたくさんの闇のなかでどうすりゃいいのか
あたしは言われた「お前の武器がお前自身を罰するだろう」
あたしの貞操は目の前でまっぷたつに割れ、この
クラブの女の子はだれひとり赤い口紅をつけてちゃだめなんだ
汚れた潮の流れ いけずな変態 そんなもんが
あたしの睫毛のマスカラと関係あるわけがない ネズミが
あたしの部屋へやってきた引き出しのなかの白い衣服をめちゃくちゃにした
何リットルもの錆とタールと密かな監視何リットルもの
支配何リットルもの中傷何キロもの不信が湧き出してくる
あたしの眉毛の端がわずかに吊り上っただけで あたしなんか縛られたらいいんだ
あいつらに灰色のギブスをはめられて酸ぶっかけられて眼も鼻も消えちまえばいいんだ
あたし、物書きになるために自分自身であることを放棄するって?
あいつらはやわらかくてほっそりしたわたしの首や うなじから生えてる産毛を
悪魔に仕立て上げた この
クラブにはちゃんとした女の子はだれも入れない
あたしたちは夏を信用しない
綺麗はひとを駄目にする。
これまでのあたしの人生にどんな値打ちがあるのか
もう一度ようく考えてみなくては。
活字を読むだけだと分かりにくいこの詩も、ヨランダ自身による朗読を聴くと素直に腑に落ちる。言葉が身体性を帯びていることの証左であろう。実はヨランダ、Tender a Manというバンドを組んで、詩と音楽と舞踏が一体となったパフォーマンスも行っている。来る五月半ばにはスペイン大使館の招待で日本を訪問、東京のセルバンテス協会で朗読を行うほか、いくつかのバンド公演を企画中だとか。ご興味のある方は、Yolanda Castanoまたは Tender a Manでユーチューブを検索してみてください。
by foryoureyes
| 2011-05-11 04:39