2010年 01月 24日
読書日記 トーマス・マン |
年末から年始にかけてはヘッセをぱらぱらと読んでいたが、そのヘッセがトーマス・マンを評して「よい作家だが夢遊病的なところがない」と云ったという話を谷川俊太郎がいろんなところで紹介している。どういうところが「夢遊病的ではない」のかが気になって、夜眠る前に『ヴェニスに死す』の冒頭部分を読んでみたのだが、たしかにヘッセの文体とはかなり違う。ヘッセの文章がしなやかな樹木であるとすれば、マンのそれは間断なく積み上げられた大理石だ。
だが、だからといって、マンの文章に無意識的なものがないとは思えない。それどころか、硬質な文体の背後から、妖しげな沼気のごときものが迫ってくる。たとえば第三章、ヴェニス行きの汽船に乗り込んだ場面、
「彼には、いっさいが全くあたりまえとばかりは思えない気がした。なんとなく、世界が夢のようにへだてられ、奇妙なものへゆがめられてゆくけはいが、あたりにはびこってゆくように思われた。これは自分の顔をすこし暗くしてから、再びあたりを見まわしたら、あるいは制止することができるかもしれない、と彼は思った。ところがその刹那に、泳いでいるような感じが彼をおそった。」(実吉捷郎訳)
こういう不安な浮遊感覚が、不気味なまでに若作りした老人を見たことによって喚起されるという設定も興味深い。マンは自分のなかの無意識的なるものへ届こうとしてこの作品を書いたのではないか。それにしても「自分の顔をすこし暗くしてから」とはどういうことなのだろう。原文は、wenn er sein Gesicht ein wenig verdunkelte。日陰に入るという感じであろうか。
by foryoureyes
| 2010-01-24 20:01