2009年 10月 31日
キーツの手 |
数日前の日記で、見慣れた絵画が観るたびに衝撃をもたらす理由を、「精神の、死すべき肉体に対するささやかな意趣返し」と書いた。つまり肉体は、絵画に、本来は不可視でありそして不死でもある精神の顕現を認め、その束の間、永遠の側から絵画の前に立っている自分を見下ろしているという構図である。
これに対して謎の台湾人オタッキー氏が、シンボルスカの詩の一節との関連を指摘した。「書く喜び/とじこめてしまう力/いつか死ぬ一本の手の復讐」というくだりである。たしかにそこには一種通ずるものがあるが、それでまた私はキーツの次の詩を思い出した。ここに訳文と原文を掲げておく。
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この手
まだ暖かい
こうしてしっかり
握りしめることもできる
生きている、ぼくの、この手
やがては冷たくひっそりと
墓石のなかに横たわるだろうこの手を
あなたが忘れたりしませんように
夢に見ては眼を覚まし
自分の心臓もいっそ干からびてしまえばよかったと
涙を流してくれますように
あなたに思い出してもらえばぼくの屍にも
ふたたび真っ赤な命が巡り始める
そうすればあなただって
自分ひとりが生き永らえた罪の意識から解き放たれることだろう
だから、ほら、いまのうちに
ようく見て。ぼくの
この手
This living hand, now warm and capable
Of earnest grasping, would, if it were cold
And in the icy silence of the tomb,
So haunt thy days and chill thy dreaming nights
That thou would wish thine own heart dry of blood
So in my veins red life might stream again,
And thou be conscience-calmed ---- see here it is -----
I hold it towards you.
by foryoureyes
| 2009-10-31 00:13